本山のご紹介

真宗木辺派本山 錦織寺

真宗木辺派本山 錦織寺 滋賀県野洲市木部826
電話番号:077-589-2648 ファックス:077-589-5675

親鸞聖人御足跡の本山 錦織寺

由来

天安二年(西暦八五八年)比叡山三代座主慈覚大師円仁の御指示で、木部の地に御堂が建てられ毘沙門天王像が安置されました。

それから三百数十年後、親鸞聖人が関東から京都に還ろうとされた途中に、この天安堂に歩みを留められました。
(一二三五年聖人六三才)地頭の石畠氏(那須氏の一族)をはじめ、近在の人々が聖人のお通りを伝え聞いて馳せ参じ、ご滞在を乞いました。


聖人は笈におさめて常にお持ちになっていた阿弥陀如来の御尊像(茨城県の霞ケ浦の湖中より得たと伝わり、関東にもその伝説が残っている)を安置されて浄土真宗の教えをお説きになりました。この時から浄土真宗の湖東における中心になりました。歴仁元年(一二三八)天女が蓮の糸で織った紫紅の錦を捧げて仏徳を賛美するという不思議なことがあって、このことを伝え聞いた時の四條天皇は「天神護法錦織之寺」の寺号と額を下されました。

御影堂は『教行信証』が完成した歓びのようすを、門侶の懇願によって画かれた「満足の御影」とよぶ画像を掲げています。

この「満足の御影」や「笈掛の松」また当寺の付近にある聖人のお座りになったむしろを焼いたという「やいたの河原」聖人のお持ちになっていた藤の杖が芽を出して繁ったという「藤塚」は、すべて聖人をお慕いするよすがとして残されてきています。聖人が田圃に働く人々に教えて下さったと伝わる歌のふしは現在の御和讃の中にも収められて、当山声明の根幹となり、「上菅声明」と称して今日も御正忌等に在家の青壮年によって奉誦されます。

創建以来再度にわたる火災の為に、現在の建物は元禄年間以後再建されたものばかりですが、両堂表門などは江戸期建造の特徴を示しています。書院、大広間は東山院(江戸初期)の御常御殿を賜わったもので、これらの建物を囲んだ庭園は元禄の再建以前の石組が残されているようです。

当寺は親鸞聖人御帰洛の後、性信、願性、善明、愚咄と法統が継承されました。一三五〇年前後に聖人玄孫に当たる存覚上人(本願寺三代覚如上人の長子)とその子慈観上人が来住され、広く教勢を広げました。その後、本願寺に蓮如上人が出られやや衰退したのですが、天正元年(一五七三)門跡寺院たることを認められると共に、菊の紋章使用の許しを受けています。

当寺第十四代良慈上人は、京極家仁親王の猶子で、享保十九年(一七三四)御入山なさり、江戸時代の真宗四ケ本山の一つとして一派の興隆に尽力なさいました。

また第二十代孝慈上人は西本願寺明如上人の息男で西域探険で高名な大谷光瑞師の弟、歌人九條武子夫人の兄にあたり、明治二十九年に入山され、明治大正昭和の激動の中で、宗風宣揚に努められました。

第二十一代宣慈上人は天文学に造詣深く、天体望遠鏡のレンズ(鏡)制作で吉川英治賞を受けられました。

2005年09月03日 | カテゴリー: 正覚寺について
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